先日、ある勉強会に参加するために京都に行ってきました。
せっかくなので2泊追加して、ずーっと行ってみたかった瑠璃光院と蓮華寺に足を伸ばしてみました。
今回の京都行きは、苔寺目当てで計画していました。苔寺がもともと好きなのと、真の意味での静寂を感じてみたくて、思いつきと感覚で目的地を選んでみたのでした。
瑠璃光院は現在予約制になっていて、1か月前にサイトから予約をしました。
厚生労働省の接触確認アプリインストールを義務付けられています。
ちなみにもともと入れていたのですが、5か月以上「陽性者との接触は確認されませんでした」になっているのですが
これはこのままでいいのかな?と疑問です^^;
朝一番が10時からの予約だったので、10分前に到着したところ、15人くらい並んでいました。開門と同時に、検温、身分証明書の提出、アプリの確認、予約メールの確認が行われて、少しずつ入れていただきます。
門をくぐると美しい静かな世界が広がっていて、来れてよかったなあと思いました。
時期的に紅葉にはまだ早いのですが、個人的には「青紅葉の世界」がかなり前から見てみたくてぎりぎり間にあったのでした。静かなグリーンの世界に見入ってうっとりします。
そしていよいよ2階へ。
一度、自分の目で見てみたかったグリーンの瑠璃光院の世界が飛び込んできました。
素晴らしい・・・のひとこと。
二階からお庭を見下ろすとこんな感じです。
美しい大きなラピスがあって、引き寄せられるように近づいてみました。
画像では少し暗めになってしまいましたが、こんなに美しいラピスを見たのは初めてかも。
当たり前なのですが、皆さま画像を撮ることに夢中なので、ラピスは誰も気にとめていないみたいで、エネルギーをしばらく独り占めできてラッキーでした♪
瑠璃光院だから「瑠璃石(ラピス)」なんですね。
一階から庭園を眺めます。
小さな滝?があって、その水滴の音が心地よかったです。
出口。風情がありますよね。本当はもっとじっくり見たかったのですが、予約制のため時間が限られてしまい、比較的早めに出ることになりました。
そして、瑠璃光院から徒歩20分くらいのところに蓮華寺があるので、ゆっくりゆっくり歩いてみました。いろいろ見て歩いていたので、私の足だと結局40分くらいかかったかもしれません。
ところどころに咲いてるお花がきれいで、どうしてこんなに美しい発色になるんだろうと植物の神秘を感じます。まるで、ねーねー見て見て♡と呼び掛けてくれているみたいだなと思いながら覗き込んだりしていました。
蓮華寺は、本当に静かに佇んでいて、最初あまりにさりげなくて一瞬通り過ぎてしまったくらいでした。
↑住宅に囲まれていて、通りからこんなふうに奥にあります。
でもでも!山門に近づくと、背筋が伸びるような透明な力強いエネルギーを放っておられて
門の手前で立ち止まり、思わず、入ってもよろしいでしょうか?と自然と深く一礼してしまいました。
参道越しに、庫裏が見えてきます。一歩足を踏み入れると、深い深い静寂の世界が。なんと表現していいのかわからないのですが、この透明感に畏れ多いと言いますか、特別な空気を感じます。
素晴らしいお庭と苔が・・
振り返ると↑こんな感じです。
入口すぐに、にこにこしていらっしゃるのですが眼光鋭い御住職らしき方がいらっしゃったので
入り口付近は撮りませんでした。
釈迦如来像にお線香をあげさせていただき、こちらに来れたお礼をお伝えしました。
侘びさびの世界とは、引き算の美学なのかもしれません。(なんて深すぎてまだよくわっていませんが^o^)
日本人は素晴らしいですね。
感無量とはこのことをいうんだなあと思いました。
そして「今を意識して生きる」の本当の意味を再確認したような気がしました。
「今この瞬間瞬間」の連続が人生で、その瞬間がすぎればすべて過去になる、と実感させられたような気がします。
有難いことに貸し切りで、おそらく1時間半以上無心で見入っていました。時間を忘れます。
御住職に手書きの御朱印をいただいたので、帰りに話しかけてくださって
「なんて言ったらいいか言葉にならないのですが、本当にありがとうございました。こんな世界観があるとは…感無量です。」
と頭を下げながら思わず口からこぼれてしまったら
「そう言っていただけるのが一番うれしいです^^。枯れ葉など掃除が行き届いておりませんでねぇ。」
と、ぴっかぴかなのにあえておっしゃったのですが
「この状態を美しく保つことは本当に本当に大変なのですよ。」
という意味が入るのだ、と伝わってきてめちゃくちゃ緊張してしました。。
私は、先入観をいだかずに感じたいタイプなので
行く前に、詳細まではあえて調べないようにしているのですが、
戻ってからいろいろ調べてみると、こちらの御住職はかなり厳しい方のようで
お線香も上げないで、いきなり入って画像だけ撮ったり、マナーを守らない観光客を叱り飛ばされるのだそうです(!)
実は釈迦如来像にお線香をあげているときに、すごく視線を感じてなんだろう?と思っていたのですが
そういうことだったんだなあと無事地雷を踏まずに済んだことに(笑)ほっとしてしまいました。
こうやってお寺や文化財は守られていくのだなあということも、あらためて勉強になりました。
嫌なことや本当のことを言い続けるって、言う方も辛いのでは?と思いました。大切に思っているからこその真実の表現なのだと思います。
また、ここに来れるように頑張らないと!と
清々しい気持ちにさせてくださった御住職には感謝しかありません。
ちなみに御朱印の文字は私がいうのもなんですが、本当に素晴らしいです。
蓮華寺に行く少し手前に、威厳ある神々しい神社があって「ん?」と立ち止まったのですが
蓮華寺に早く行きたくていったん素通り。でもどうしても気になって、蓮華寺の帰りにやっぱり行かなくては、と戻ってみました。
「崇道(すどう)神社」と書いてあります。
入口の説明書きを読んでみると、平安時代初期の皇族「早良親王」をお祀りしてあるとあります。
早良親王とは、桓武天皇の実の弟で、延暦4年に起きた藤原種継暗殺計画の首謀者として捕らわれ
乙訓寺に幽閉させられたあと、淡路に流される途中
なんと無実を証明するために絶食死したのだと書いてありました。
反桓武帝の中心勢力だと思われていたようです。
その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都には疫病が流行したため、早良親王の祟りだと噂され、
その怨念を鎮めるために延暦19年「崇道天皇」と追号しお墓を現在の八島凌へ改装しました。
早良親王(崇道天皇)だけ単独で祀ってあるのはこちらだけだそうです。
また、この地は若狭街道の交通の要であり、都の鬼門に当たるのだそうです。おそらく桓武天皇が結界を張ったのだろうと思いました。
あ、サイマティクスには、自分のエネルギーフィールドや空間に結界を張るという音があります✨
長い参道を抜け階段を上がると社殿があり、静かで厳かな雰囲気が漂っています。
無実なのに、人から誤解を受け続けて生きるとは、どんなに苦しいことでしょうか。しかも実のお兄さんに。
怨念を鎮めるため、とあったのですが
お参りをさせていただいたときに感じたエネルギーは
私には、例えるなら「よくここまで来ましたね」というような厳しくも穏やかで優しい感じがしました。
狛犬が神々しくて、画像に撮りたかったのですが電池が切れそうで、惜しいことをしました。
余談ですが、瑠璃光院は蓮華寺や崇道神社のような威厳ある重み、みたいなものを実は感じなくて
なんでかな?と思っていたら近年では旅館だったようなのです。だから「院」なんだよ、
と後日タクシーの運転手さんが教えてくれました。
多くの文化人に愛された素晴らしい旅館だったのだろうと思いました。泊まってみたかったです^^
続きます。