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戦争の傷跡/サイマティクスセラピー

本日お越しくださった90歳のSさまが、先月より元気がなくて
いろいろお聞きしたら、連日のウクライナのニュースを見て
自分の戦争体験を思い出し毎日涙が止まらなくて
辛いとおっしゃっていました。

終戦後、朝鮮半島や中国、台湾などの旧日本軍が支配していた地域から命がけで日本に引き揚げてきた人たちがいます。Sさまも満州から引き揚げた1人です。

満州国とは、旧日本陸軍の関東軍による満州事変から半年後の昭和7年3月に建国されました。
現在の日本の約3倍にあたる広大な地に新しい国を作るという壮大な試みで、順調な経済発展を遂げ、
Sさまのおうちにも中国人の使用人のような方が何人もいたのだそうです。
彼女が土地の広さで印象的だったのは、道路の広さがものすごくてあんなに広い道路を日本では見たことはない、と言っていました。

昭和20年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破って日本に宣戦布告し満州などに侵攻。日本が敗れ13年5カ月で消滅しました。
終戦当時、満州在住の民間邦人は推定約155万人で、引き揚げたのは127万人。
軍民合わせて約24万5千人が命を落としたと言われています。
当時、満州にいた民間邦人は生活が一変、命を失い、全財産をなくし、追われるように日本本土へ帰国することになりました。

約3年くらい兵舎や教会などを点々としながら引き揚げ団の列に加わり、日本への船が出る場所を目指して、命がけの移動が始まります。

日本人のいる収容所には連日、ソ連兵が銃を持って女性をさらいにくるのだそうで
若い女性は男装で地下に隠れ、顔を真っ黒に汚して年齢がわからないようにしていたのだそうです。

お米はなく、食事は少しのひえやあわのおかゆのようなものと野草だけで、栄養不足から病気になって亡くなる人も多く、常に死と隣り合わせの生活を続けます。

やっとの思いて乗った引き揚げ船の船底では、
疲れ果て、栄養失調で体力のない人や幼い子どもが亡くなり、何人も海へ葬られ、横になって寝ることもトイレもままならないようなそんな日々だったのだそうです。
もちろん歯を磨くこともできないので、歯槽膿漏で歯はボロボロに。

戦後の混乱期、満州から博多港に上陸した日本人は約58万人。

今から思うと、よく生きて日本に戻れたと思う、と言っていました。

日本に戻ってきたからといって、不自由のない穏やかな生活ができるわけではありません。
ご両親を戦争で亡くしたまだ中学1年生くらいだった彼女は、親戚の家に居候しながら学校にも行けず
さまざまな仕事をしながら、一緒におぶって逃げ延びた、
肺が弱かった妹さんの面倒を見て必死に戦後の日本を生き抜いてきました。

「戦争は絶対にダメだ。あんな時代を二度と繰り返してはいけない。いつも何も悪くない市民が犠牲になる。病院が襲撃されたり、子供が亡くなるのを見ていられない。」
とぽろぽろ涙を流しながら、私にいろいろなことを話してくださいました。

サイマティクスセラピーが終わるころには、いつもの
笑いが止まらない明るいSさまに戻っていましたが
たまたまその後時間が少しあったので、お茶を飲みながら母を交えて3人でいろんな話をしていました。
(※Sさまはもともと母の書道の友人です)

戦争は人の人生を大きく狂わせ、大きな傷跡になってまだ今も生き続けています。
私も2人の祖母から、戦争の話は聞いていましたが、
大人になってからこういう話を教えていただけるのは貴重で、
高齢で亡くなっている方も多いので、聞く機会も減ってきています。

Sさまが生きて帰ってきてくださったからこそ、今こうしてお会いさせていただける大切なご縁を感じます。
一刻も早く、平和になりますように。

 

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